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<<   作成日時 : 2005/08/19 00:05   >>

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革命のエチュード
柘植洋三

■「和多田さん前田君を温かく迎える会」
 私が、深い暗闇の中を彷徨っている頃、1989年12月16日に前田君が、翌年の1990年8月3日に和多田さんがそれぞれ11年10ヶ月と11年5ヶ月の獄中生活終えて出所する事となりました。
 私はその年の1月、和多田さんと前田君をどう迎えたいのかを綴った33Pのパンフレットを作りました。「優しさを歌え!―ご迷惑をおかけした人々へのご挨拶とお願い―」と題するそれは、「和多田さん前田君を温かく迎える会」というものをつくり、
 「前田、和多田が疲れた身体を癒し、社会復帰するために必要な基金の募集と、多分和多田になるのでしょうが、管制塔の最後の被告が出獄した一ヶ月〜二ヶ月後に開催する温かく迎えるイベント。
 この二つです。
 イベントのイメージは、演説は必要最小限の報告一つ二つをのぞいてはなし、温かく迎える優しい気持ちはすべて歌、おどり、詩の朗読、芝居などで表現してもらう。イメージテーマソングを決め、あらかじめデモテープを作って販売し、参加者の六割以上が歌える状態にしてイベントの最後にこれをみんなで合唱する」(パンフより)
 このことを提案し、関係の皆さんに配布、お願い致しました。結局この構想は、戦列を離脱して10年近くたっていた私にとって想像も出来ない無残な状況によって振り向かれもせず、私のことを心配して頂くこととあわせて、取り上げられることはありませんでした。
■前田君の手紙
 私は、このパンフレットを前田君・和多田さんに差し入れしました。その時前田君が獄中から、窓口になっていた林さんを通して書いてくれた手紙が残っています。
(管制塔占拠部隊の隊長前田君の林純子さんへの手紙)
 柘植さんが、作った『優しさを歌え!』が、1/2(土)に交付になりました。その日のうちに読みました。林さんも読んだと思いますが、心に染みるものがあったのではないでしょうか?
 私は、読みながら泣き間した。『この8年間本らしい本というものを全く読んでいません。精神がチラついてしまっていますから読めなかったのです』の文にぶつかって、数分間、前に進めませんでした。また、大島さんが、『第四インターの関係スジとは同席したくない』と発言したというくだりには、声を挙げないように歯を食いしばっていたのですが、どうしようもなくなり声を上げて泣いてしまいました。独房だからいいやと思いしばらく泣いていました。大島さんは、インターの三里塚における顔みたいな人だったのです。柘植さんと和多田さんは、その意味では裏の顔でした。この人たちが、何でこんなに苦しまなければならないのか…と考えると胸がつぶれるような、心臓がわしづかみされているような苦しさを覚えます。
 −中略―
 私の田舎には、『むつこい』という言葉があります。標準語の『かわいそう』にあらされているような、事態を第三者的に客観化して述べることばとちょっとちがうのです。沖縄の「むちぐるしい(「肝苦しい」とかくらしい)」と似ています。それを見聞する自分の胸が苦しいというニュアンスの言葉です。『優しさを歌え!』を読んでいると『むつこくてむつこくて』涙が止まらなくなります。こんなに苦しみながら優しさを守っているのかと思うと…。
 柘植さんは、和多田さんや私が出獄したら、ロッキーのセコンドのように「もう立つな」というつもりだそうですけど、私は今、柘植さんに、「立つな!!」といいたいです。今いろんなことにかかわって、心のバランスを崩して欲しくないのです。もっともっと、のんびりとゆったり休んでいてほしいのです。和多田さんと私の「温かく迎える会」は嬉しいのですが、柘植さんは、今はそういうことにかかわらず、もっともっとのんびりと気楽に過ごして欲しいと思うのです。私も、私以上に和多田さんも、柘植さんの気持ちだけで心がいっぱいですし、温かい気持ちになります。大島さんが、私の出獄のために歌の練習をしていると聞いただけで、目に涙がたまります。ですけど、柘植さんにはやっぱり「立つな!!」といい気分です。
 −後略=
■ホームコンサートに向けて
 結局「温かく迎える会」もそのイベントも動き出すことなく終わりました。やむなく私は、音楽が好きな前田君をホームコンサートで迎えようということを考え始めました。そのうち、地域のコンサートで若い女性ピアニストのショバンのエチュード「革命」を聴き、「これだ!この演奏を前田君に聞かせよう」と心に決めました。
 いきなり頼めるものではありませんから、まずそのピアニストの生徒になってバイエルなどのレッスンに通いました。先生の自宅のグランドピアノで練習をしましたが、私以外の生徒は小中学生のようでした。明るい穏やかなお母さんがお茶を出して下さり一緒にお話をすることもありました。ピアノのほうは、そもそもの意図が別のところにあるものですから、一向に上達しませんでした。でも、彼女が出演するコンサートには、かなりの無理を押して出かけたりして、信頼関係は深まっていきました。
 レッスンを受けるようになってから8ヶ月くらいたって、私は切り出しました。
 「成田空港の強引な建設に反対している農民を応援した私の知り合いが、つかまってから12年ぶりに出てきます。彼は音楽が好きです。音楽のない12年の獄中生活で彼の身体は枯れていると思います。出てきたら、先生の『革命のエチュード』を聞かせてやって下さい」
しばらく考えていた彼女は言いました。 
「両親に相談してみます」
返事を聞いて私は思いました。
「これは断られる」
ご両親は、私より年齢が3歳程上で、78年の3月にどんな大事件があったかをお嬢さんより良くご存知のはずだからです。
「両親が良いと言いましたから、お受けいたします。ご都合のつく日をご連絡ください」
 彼女の言葉に、驚き、心から喜び、感謝したのは当然です。
■革命のエチュード
 前田君が12月に出獄した翌年の2月に、二人で彼女の自宅に伺いました。前田君には、まだ獄中生活の緊張とささくれた雰囲気が残っていました。
 先方は、ご両親とお嬢さんの先生の三人で、にこやかに歓迎して下さいました。
 しばらくの世間話の後、彼女がショパンの革命のエチュードを弾いてくれました。
 1831年、ポーランドの革命軍がロシア軍によって鎮圧され、ワルシャワが陥落したとの知らせを聞き、その怒りを鍵盤に叩きつけたと言われるショパンのこの作品を、彼女は全身で演奏してくれました。
左手は、地底から吹き上げるような不安と怒りを分散和音で奏で、右手は、激情的に上下する音階と叩きつけるようなオクターブの旋律を奏でました。 
 3分足らずの演奏でしたが、3時間にも匹敵する深みを持って前田君が受け止めていることが分かりました。
 奥様の手作りのお菓子や、ハーブティなどで歓談しました。
「前田君、塀の中のお話をしたら」
「ええ!それってありですか」
前田君は驚きました。
「事情を分かって、ホームコンサートを催して頂いているのだから、お話したほうがいい」
それでは、というので、前田君は、
「獄中でヤクザの組長が子供に教えるための教師になったこと、その組長が、12月の出所の際、子分と一緒に出迎えに来たこと」
などを面白く話しました。
感心してその話を聞いていたご主人が、
「私も笛をやります。私の笛は、鼻の穴で吹きます。東南アジアに、口は食べ物などで汚れている、鼻こそ清潔で神聖というので鼻の穴で演奏する民族がいます」
と言って、鼻の穴に横笛を当て、見事に本格的な音楽を演奏されました。
かようにして、「革命のエチュード」のホームコンサートは、暖かい雰囲気に包まれて終わりました。
当時の事情によって「和多田さん前田君を温かく迎える会」は出来なかったけれども、この前田君一人のための総勢5人のホームコンサートは、基底的な思想においてそれを実現したものでした。
■一念岩を通す
 まったくの縁故のない一般家庭に、12年の刑期を終えたばかりの人を迎えて懇親することは、なかなか出来るものではありません。
 依頼するほうもよく依頼したものだし、受けたご家族もよく受けて下さったものです。奇跡みたいなものです。それだけあの管制塔占拠の戦いが、民衆の闘争の勝利として普遍性を持って受け止められていたということでもあります。
  なんとしてでもやりたいと思う一念で、信頼を得、そういう場を作っていったから出来たのでした。これは、ほんの小さな第二の3.26でした。
 この度の、一億円の損倍をむかえうつ連帯基金も、頂上は遥かに遠く高い。けれども岩をも通す一念が、全国のあちこちで沸きあがっていて、この目標に必達する行進が今始まりつつあると感じています。
2005年8月15日




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